九谷焼の陶画工でいわゆる赤九谷の手法を完成した人。1804年(文化元)加賀国大聖寺(石川県加賀市大聖寺町)に生まれ、代々染物上絵を家業としていた。陶画の師についての詳しいことはわかりませんが、天保年間(1830~44)に山代村(加賀市)宮本屋窯で赤描細文の着画をし、その後越前国(福井県)敦賀気比宮所蔵の『方氏墨譜』を見て意匠文様を大いに高尚にし、また二度焼の製法で描様を繊密にし金彩を滋潤にし、今までにない精巧なものにした。世にこれを九谷の八郎手といいます。1852年(嘉永五)没、四十八歳。(『工芸志料』『工芸鏡』『九谷陶磁史』)※はちろうで