ソビエト連邦ウズベク共和国内の古都。
紀元前四世紀にアレクサンドロスが占領した頃から史上にその名がマラカンダとして現われます。
オクサス河の一支流に沿ったこの町は交易の中心として栄えました。
721年ホラサンの太守クタイバによって攻略されイスラム圏に大りました。
そののちボハラと並んで有名となり、十四世紀にチム一ルが首都と定めた頃は繁栄の絶頂でありました。
チム一ル一族を葬るグ一ル一イ一エミ一ル廟は青色タイルで美しく装飾されて現在も名所として知られます。
そのほかビビ一八ヌムも同じくすぐれたタイル装飾をもつ。
また十世紀頃からはサマルカンド、ボハラ付近で多くの陶器が焼かれた。
白地に黒で文様を描いたもの、黒地・白地・赤・緑などで文様を描いたものなどがあるようで、二シャプ一ルと同じく点描法が使われています。
また文字を文様化したものも多いようです。
この種のタイプの陶器はオクサス河の両岸に広がっていたものとみられます。『ASur-veyofPersianArtn』