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四十石 しじゅっこく

大名物葉茶壺の一つ。
葉茶七斤半が入り、松島の壺よりもさらに大きいです。
かつて真壺が百疋から二百疋位の値段の時、京都千本の関本道拙が米四十石が取れる田地と引替えに手に入れ、足利義政がこれをほめて東山御物に加え、四十石の銘を付けたといわれます。
のち蜂屋紹佐から堺の銭屋宗訥に伝わり、いつしか秀吉に献上されました。
3日月と松島が本能寺の変で焼失しましたので、秀吉の頃には四十石は天下一の壺と呼ばれました。
閑味に富んだ三つの壺のうちでも最も見事なものといわれました。
『宗湛茶湯日記』天正十五年(1587)正月3日大坂城茶会の条に詳しい記載があります。
北野大茶会にも出されました。
(『茶道辞典』)

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