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鶴田 純久の章 お話

長さ10cm内外の板状土製品。
東日本で縄文式時代晩期に用い、護符などのような呪術的用途をもったと考えられています。
懸垂用の紐孔をもつものもあるようで、北海道網走支庁斜里郡斜里町朱円では死者に添えて墓に埋めた実例があります。
多くは表裏両面に土器に共通する文様を施しており、長釉にそって中央に縦線を引き、その端に凹点を打つものが多いようです。
関東地方の実例には中央の上端に山字形を描くものが多いようです。
土版には顔を表現したものもあることなどから、土偶から二次的に派生成立したとする考えもありました。
しかし現在では土偶とは関係なく成立したものと考えられています。
すなわち東北地方の岩手県を中心とする亀が岡式土器の地帯で、繩文式時代晩期にまず凝灰岩質泥岩を材料とした岩板が製作され、次いで東北地方南部・関東地方など泥岩のない地帯でこれを土製品として模倣したのが土版であると認められています。
さらに晩期後半には関東地方では土版を使用しないようになり、次第に東北地方北部に分布範囲を狭めながら消失したことも明らかになっています。
これら普通の土版以外に、関東地方草創期末(花輪台式)に属するものとして小型の板状土製品が一例あるようで、また特殊なものとして東北地方の後・晩期には幼児の足形を粘土に押印した足形土製品が二例あります。
(江坂輝弥『土偶』『日本原始美術』二)

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