杉木普斎 すぎきふさい

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鶴田 純久の章 お話

茶人。
宗旦の四天王。
1618年(元和四)生まれ。
伊勢国山田(三重県伊勢市)の神宮御師職。
本名吉太夫光敬、・字は周禅。
普斎は参禅の師乾英宗箪から与えられた道称。
別に宗旦から宗喜の号をもらい、また有麦庵・直入庵・得失庵・瑞夢子とも称しました。
早年十五歳で宗旦に入門し、1658年(万治元)三十一歳の時宗旦が没するとその子一翁宗守・江岑宗左にも伝を受け、千家流の神髄を体得しました。
1671年(寛文一こに公職を子の光則に譲ってからは茶をもっぱらにし、筑前国(福岡県)・播磨国(兵庫県)・四国などに出遊して流儀を伝えました。
普斎の茶は宗旦の佗び茶の精神を守り、清潔な佗び茶の一生を過ごしました。
茶杓・花入・蓋置・黒木の水指など素朴な遺作にその人柄がしのばれます。
同門山田宗偏の著『茶道便蒙抄』に評注を施した『普斎書入茶道便蒙抄』があるようで、また各地の弟子に与えた伝書は十種を越えています。
なお普斎の伝記資料としては福井随時の『普公茶話』があります。
1706年(宝永三)6月21日没、七十九歳。

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