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鶴田 純久の章 お話

モースは著書『日本陶器目録』に「薩摩の北部なる出水村に於て雑器を造り長崎に出す」と記し。
1650年(慶安三)から1880年(明治一三)までの各時代の見本を掲げた。
しかし現地調査をしたところ根拠になる事績がなく、また関係諸書にも記載されていないようです。
ただ平佐焼の創始者今井儀右衛門が下出水村脇元(阿久根市脇本)に磁器製造所を設立し失敗したという記録から推測し、これを出水焼と称したのではないだろうか。
(前田幾千代)

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