名古屋の日蓮宗法華寺の住職。文化年間(1804-18)の人で日義と称しました。常に茶事を好み退隠後は名古屋の東南前津の里に庵を設けて為足庵と名付け、楽しみに陶器をつくって所掲のような印を押しました。晩年の作品には啓運老比丘と書いたものもあります。(『をはりの花』)