後水尾上皇の修学院離宮での御庭焼で、1664年(寛文四)に開窯され、粟田口の陶工が製陶に携わりました。
延宝(1673-81)頃まで焼かれたようで、遺品は少なく無銘、作風は堂上好みで仁清と共通しています。