高須窯 たかすがま

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鶴田 純久の章 お話

美濃国石津郡高須(岐阜県海津市海津町高須)にあったもので、文政・天保年間(1818-44)に藩侯に招かれて清水孫六が開窯しました。
のち俊恭という者がこれを譲り受けました。
温故焼の創始者清水平七は孫六との縁類により一時この窯に従事しました。
これを魁翠園焼といい、製は茶器を主とし、質は万古に似ています。
曇白あるいは暗紫色の素焼の器に彩釉で草花を描いたものが多く、また淡彩釉を施したものもあるようで、器ごとにみな「魁翠園」と款しました。
また黒・赤などの楽焼もあるようで、非常に上好で草体の「魁」の字の円印を捺しています。
明治初年に廃窯とあります。
しかし近年の研究によれば、魁翠園焼の窯は高須にあったのではなく、江戸角筈(新宿区)の高須侯の下屋敷にあったといわれます。
(『日本近世窯業史』『日本陶甕史』『陶磁』七ノ四)※かいすいえんやき

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