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鶴田 純久の章 お話

中興名物。金華山茶入、玉柏手本歌。
『茶器弁玉集』『万宝全書』によりますと、元来は小堀遠州が所持秘蔵の比類のない茶入で、もと奈良屋弥兵衛が摂津国(大阪府)難波の浦で取り出したもので、古歌「難波江の藻にうづもるs玉柏あらはれてだに人の恋ひばや」から名付けられたものといいます。
難波江の古歌は『千載集』の恋歌で源俊頼の詠。
井伊直弼の『閑窓茶話』には「玉柏といふ茶入は黒きなだれの薬どまりに大なる石はぜあるようで、因て遠州玉柏と名けらる、玉柏は石の異名なり」とあります。
口造りは厚手で捻り返しは浅く、甑が極めて低く、肩は丸味をもって撫で、地釉は柿金気色であります。
置形は茶入肩先から黒釉がなだれ、巌石の間に滝のかかったような景色をなし、肩先に虫喰いのような凹みがあります。
胴申には石はぜのような白釉が一点の螢のように黒い滝間に現れて、白い水玉を点じたようにもみえます。
口から肩にかけて大割れのような一線があるようで、それより横に茶入半分に達する程の大ひび割れがあるようで、置形より向かって左の方に幅6mm程の金気釉が裾より胴の中辺まで立ち上がっているのは、いわゆる上り金気釉でこの茶入に特有の景色といえます。
茶入は大体に俵形をしており釉色は寂びています。
遠州は一時これを小松中納言前田利常に譲りましたが、再び小堀家に還り、のち土屋相模守(1678、延宝六年)、小堀家、三井三郎助(享保年間)、若狭藩主酒井忠禄(1844、天保一五年)と伝わりました。
(『名物記』『遠宗拾遺』『古今名物類聚』『麟鳳亀龍』『大正名器鑑』)

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