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原色陶器大辞典

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一文字呉器 いちもんじごき

名物。朝鮮茶碗、呉器手。窯の中で茶碗の外部の口縁と平行して同質の他の茶碗の口縁が細長く付着し、一文字状になっているのでこの名があります。天正年間(1573-92)に織田信長が石山本願寺との和睦の証しとして顕如上人に贈ったものです。本願寺では...
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伊勢窯 いせがま

尾張(愛知県)と伊勢(三重県)の国境にあった茶入窯。
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一条九兵衛 いちじょうくへえ

楽脇窯の作家。初め楽家四代一八の養子になったがのちに不縁となり、その後京都一条通りに住み楽焼を業としました。製品にはよい品も少なくありませんでしたが、楽家六代左入の時に窯業を禁止されて晩年は江戸へ移住したといわれます。(『日本陶工伝』)
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一文字屋 いちもんじや

京都粟田の窯に特に一文字屋を名乗るものが多いようです。『本朝陶器攷証』にこの名称を使用するものとして、嘉兵衛・忠兵衛・佐兵衛・喜兵衛・庄兵衛の名を掲げています。なおある本には、慶安年間(1648-52)に一文字屋某が中山清閑寺の山麓に窯を開...
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射和万古 いさわぱんこ

伊勢国飯野郡射和村(三重県松阪市射和町)で産出した万古焼の一派。万古焼の創始者である沼浪弄山の姻戚竹川竹斎が始めました。竹斎は国学に詳しく、産業を起こし盛んにすることを思い立ちました。1855年(安政二)四十七歳の時、村民に技術を教えるため...
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石丸弥一右衛門 いしまるやいちえもん

肥前国(長崎県)の陶工で、金ヶ江三兵衛(李参平)の孫。初め東彼杵郡折尾瀬村吉ノ元(佐世保市)にいたがその後同村木原に移り、樋口頓一らと共に網代石を採掘する仮の許可を得て青花陶器を製出。資金を失って事業は数年と経たないうちに衰えましたが、その...
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伊豆原麻谷 いずはらまこく

名古屋の画家。字は大迂、通称橘造、初め松谷、のち麻谷と号しました。三河国(愛知県)の人で十歳の時名古屋禅寺町の某院の小僧となりましたが、画を好みついに還俗して長崎に行き中国画を学んです。三十歳で京都に行き、五十歳で名古屋に帰り花屋町に住んだ...
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意三 いさん

姓は中山といい、対馬の陶工であります。『朝鮮方日記』には1662年(寛文二)朝鮮釜山に赴いたことが記されています。宗家に所蔵されている作品には意三と墨書きしたものがあり、だいたい深手の呉器形の丸茶碗で、薄い灰色の釉を二回掛け、釉下には鉄釉を...
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意春 いしゅん

朝鮮釜山窯の陶工。伝記は不詳でありますが、『朝鮮方日記』によれば1717年(享保二)に釜山に渡ったとあります。当時はなんらかの理由で朝鮮の原土か釜山に来ませんでしたので、意春も和館内および牧の島の土を調合して製作したと伝えられます。土は鉄分...
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イスファファン いすふぁふぁん Isfahan

イランのほぼ中央にある古都。海抜1500メートル程の高原地にあります。ササン朝時代は軍隊の駐留した町でありましましたが、サファビー朝時代には首都として栄え、ペルシア文化の集中した代表的な都市となりました。市内には1612年から30年にかけて...