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やきもの

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柞灰釉 イスばいぐすり

イス灰を媒熔剤とした釉薬。わが国在来の磁器は釉薬の媒熔剤としてもっぱらイス灰を使用する傾向かありました。イス灰釉は光沢に潤いがありまたかすかに水色を帯びていて、最も染め付けに適するとされます。イスばい(柞灰)
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石丸品蔵 いしまるしなぞう

安芸国加茂郡原村(広島県賀茂郡八本松町原)の陶工。1854年(安政元)同地で陶業を起こしましたが、結果が思わしくなかったため美作国(岡山県)の大森実蔵について学び、また京都の井上千吉について五年間京焼の陶法を学び、ついで同国岡本保次郎の工場...
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イスパノ・モレスク陶器 いすぱの・もれすくとうき IspanoMoresk

イスラム陶器の技法が西方に伝わり、主としてスペインで開花したものです。十二世紀頃に始まりその中心はバレンシアでありました。デザインにはイスラム陶器の痕跡か明らかに認められます。ラスター釉を豊かに用い、ほかの色彩も多いようです。また金彩を施し...
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射和万古 いさわぱんこ

伊勢国飯野郡射和村(三重県松阪市射和町)で産出した万古焼の一派。万古焼の創始者である沼浪弄山の姻戚竹川竹斎が始めました。竹斎は国学に詳しく、産業を起こし盛んにすることを思い立ちました。1855年(安政二)四十七歳の時、村民に技術を教えるため...
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石丸弥一右衛門 いしまるやいちえもん

肥前国(長崎県)の陶工で、金ヶ江三兵衛(李参平)の孫。初め東彼杵郡折尾瀬村吉ノ元(佐世保市)にいたがその後同村木原に移り、樋口頓一らと共に網代石を採掘する仮の許可を得て青花陶器を製出。資金を失って事業は数年と経たないうちに衰えましたが、その...
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伊豆原麻谷 いずはらまこく

名古屋の画家。字は大迂、通称橘造、初め松谷、のち麻谷と号しました。三河国(愛知県)の人で十歳の時名古屋禅寺町の某院の小僧となりましたが、画を好みついに還俗して長崎に行き中国画を学んです。三十歳で京都に行き、五十歳で名古屋に帰り花屋町に住んだ...
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意三 いさん

姓は中山といい、対馬の陶工であります。『朝鮮方日記』には1662年(寛文二)朝鮮釜山に赴いたことが記されています。宗家に所蔵されている作品には意三と墨書きしたものがあり、だいたい深手の呉器形の丸茶碗で、薄い灰色の釉を二回掛け、釉下には鉄釉を...
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意春 いしゅん

朝鮮釜山窯の陶工。伝記は不詳でありますが、『朝鮮方日記』によれば1717年(享保二)に釜山に渡ったとあります。当時はなんらかの理由で朝鮮の原土か釜山に来ませんでしたので、意春も和館内および牧の島の土を調合して製作したと伝えられます。土は鉄分...
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イスファファン いすふぁふぁん Isfahan

イランのほぼ中央にある古都。海抜1500メートル程の高原地にあります。ササン朝時代は軍隊の駐留した町でありましましたが、サファビー朝時代には首都として栄え、ペルシア文化の集中した代表的な都市となりました。市内には1612年から30年にかけて...
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安南焼 あんなんやき

安南(ベトナム)から渡来したやきものの称。わが国と安南は室町時代の後期から江戸時代の初期にかけて相当の交通があり、この船で運ぱれたやきものも東京・安南・占城地方で産出されたものであるでしょう。『万宝全書』には「安南は染め付けの色あしくから物...