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陶芸

光悦

萩光悦 はぎこうえつ

本阿弥光悦が長門萩焼の窯に形を送って焼かせたものです。白土白釉であります。(『陶器考』)
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抜山 ぬきやま

益子焼では土瓶の山型耳を抜山といいます。ヌタワリ轍輸上で成形の際、まず器物に要する土の量を定めますが、これを土取りといいます。土取りののち、土を左手の指で適当な厚さに挾んで土を引き延ばすことをヌタワリといいます。土取りとヌタワリは琥櫨成形法...
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如意尊 にょいそん

高さ約20cm。上はそぎ下は豊かで口が大きく全体は短いです。中国清初青花を多くつくりました。純色釉および暗花のものが美しいです。(『匋雅』『飲流斎説甕』)
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尿器 にょうき

中国人は旅行に尿器を携帯する風習があります。古来家屋内に便所の設備が完全でなかったことによるのであるでしょうか、尿器にはよく注意を払ったようであります。漢代の陶製施釉の尿器が今日でも往々にして市場に現れ、形にも種々あります。近代では白磁・青...
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遠山 とうやま

光悦作の楽焼茶碗。千家所持、のち紀州侯に伝わりました。(『茶道名物考』)
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陶芸 とうげい

やきものの芸術、またはその作品をいいます。この語源は古くはないようです。おそらく1932年(昭和七)、当時京都在住の河村蜻山が主宰して創設した「日本陶芸協会」を初見とします。その際のこの用語の設定には加藤唐九郎氏も参画しています。
光悦

茶怨・茶坑・茶坑・茶碗 ちゃわん

茶碗は初め茶を盛るということから名が付きましたが、のちには広く陶磁器を称するようになり、さらに飲食器だけを称するようになったのは中世のことで、これに飯を盛るようになったのは極めて後世の慣習によります。平安時代にいう茶埃(碗の字は後世のもの)...
光悦

鷹ヶ峰 たかがみね

京都の北、鷹ヶ峰の地。桓武天皇は794年(延暦一三)都を平安京に遷し唐制を模した大極殿を建てましたが、この時初めて碧色釉の瓦が用いられ。これはおそらく鷹ヶ峰所製のものであったといいます。のち寛永年間(1624-44)に本阿弥光悦がこの地を得...
光悦

白光悦 しろこうえつ

日釉のある光悦作の茶碗。極めてまれであります。瀬戸風の堅焼で志野釉を掛け貫火があります。土も瀬戸であります。光悦が瀬戸から土を取り寄せて胎をつくり、これを瀬戸に持って行かせ釉を掛けさせたものであるでしょう。(『光悦と空中』)
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白岩焼 しろいわやき

羽後国仙北郡白岩前郷村(秋田県仙北市角館町白岩)にあったものです。1771年(明和八)に相馬藩大堀窯の陶工であった松本運七が佐竹藩の後援によって創起しました。運七の没後1775年(安永四)に初代山手儀三郎が窯主となり1782年(天明二)まで...