南北朝時代に最も流行した茶の遊戯。
中国唐・宋代の文人の間に行われた茶の色・香・味あるいは水品を論ずる検茶の風雅が日本化され、戦乱放逸の間の遊戯となり、舶載の唐物をもって座敷を飾り、豹皮錦繍を敷き山のような賭物を積み、会後は美肴八珍の食を並べ歌舞音曲の興に連夜の盃が飛ぶというようなものでありました。
一つにはまた茶寄合とも呼ばれ、もっぱら四種十服の茶を喫してその産地の本非をいい当て、その当否により賭物を争うものでありましたが、のちには昂じて十種から百種、六十服から百服茶の豪遊を尽くすに至りました。
当時の茶産地としては本茶たる栂尾を第一とし、非茶には仁和寺・醍醐・宇治・葉室・般若寺・神尾寺・室生・伊賀八鳥・伊勢河居・駿河清見・武蔵河越などがありました。
闘茶盛行の有様は『太平記』『喫茶往来』に活写され、また公家・寺社の記録にも詳しいです。