益子焼 ましこやき

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鶴田 純久の章 お話
益子焼 ましこやき
益子焼 ましこやき

栃木県芳賀郡益子町の産。
磐城相馬焼の系統で妬器質のものです。
1853年(嘉永六)に大塚啓三郎の創始にかかります。
当時旧藩主はこれを一物産としますます隆昌を図ろうとして同人を御用陶器師となし、また新たに製造に従事する者には資金五十両を貸与してこれを奨励しました。
降って1855年(安政二)に塩谷郡長井村の白土を採り白掛けをなし、彩画を加え、京焼の土瓶および土鍋に擬して製造しました。
同年また田中長平という工人を招いて廉価な実用品のみを製出し、世の歓迎を受けました。
以来次第に盛業となり明治末年には製造家五十余戸を数えるようになりました。
創業当時の製品は水甕・片口・摺鉢類でありましたが、次いで土瓶の製造が始まりその後火鉢・紅鉢・行平・湯たんぽ・茶器・花瓶なども製造されました。
近年は浜田庄司の陶芸によって知られ、佐久間藤太郎らの民芸作家も出ています。
(『府県陶器沿革陶工伝統誌』『栃木県産業要覧』『日本近世窯業史』『工芸』三九)

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