百武兼貞 ももたけかねさだ

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鶴田 純久の章 お話

肥前有田皿山代官。
作右衛門と称しました。
かつて文化・文政(1804-30)頃同じく有田皿山代官であった成松信久の二男であります。
田代紋左衛門にまつわる騒擾事件で代官石橋三右衛門が罷免されますと、あとを受けて赴任し大いに窯屋を保護しました。
明治初年有田製品の販売方に関し大阪に出張、長い間廃絶していた大阪仕込みの方法を再興しようとしましたが、廃藩に際して中止となりました。
(『有田磁業史』)

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