嬉野次郎左衛門 うれしのじろざえもん

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鶴田 純久の章 お話

享保年間(1716-36)の人、もと薩摩藩士。
訳があって肥前有田に来て富村勘右衛門の手代となり、勘右衛門と意気投合し、禁を犯して有田磁器をインド地方(一説ではこれを朝鮮とする)に輸出することを企てました。
そして平戸の今の屋七郎右衛門を仲間に引き入れインド貿易を行ないましたが、不幸にも露見して1725年(享保一〇)台湾で捕らえられた。
勘右衛門はすでに切腹自害し、次郎左衛門・七郎右衛門および船頭徳左衛門は私販者として長崎の西坂でさらし首にされました。
(『日本陶磁器史論』)

富村勘右衛門

今津屋七郎右衛門

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