美濃国可児郡小名田(岐阜県多治見市高田町小名田)で産し、高田窯と共に大平系の窯であります。
元和年間(1615-24)大平の景山(景連)の子景門(景自)が小名田の尼が根に窯を開いたのが起こりであるといわれます。
以後成績良好で次第に業務は拡張された模様で、出土品は天目・黄瀬戸・織部であります。
この地は元来馬場大助の領地で幕末までは一手販売をしていましたが、維新の変動と共に一時窯を廃絶してしまいました。
1887年(明治二〇)頃加藤貞三郎・間宮小十郎が再興を図り、同地釜ヶ峰に窯を築き、陶土を字洒ヶ洞から採って製造してから次第に好運に向かい、現在の盛況になりました。
なお徳利は加藤景延が同国土岐郡泉村久尻(土岐市泉町久尻)に来て製したのに始まるともいわれています。
(『岐阜県産業史』『美濃焼の歴史』)