字句に従うと古い赤絵すなわち初期の赤絵というように思えるが、もとは古渡りの赤絵という意味で、その後入ってきた清朝初期の南京赤絵などと区別していったわけである。時期はほぼ明の成化(1465~87)頃から嘉靖・万暦(1522~1619)ぐらいにわたっており、景徳鎮でつくられたものではあるが官窯の産ではなく、輸出専門の民窯でつくられたものである。というのはこの式の赤絵は中国に遺存せず、インドネシア・フィリピン・インドシナ・日本に多く伝存しているからである。素地は白い磁土で乳白色の釉が掛かり、つくりも決してひどく下手ではない。そして赤・緑・黄の三色を主とした文様を付けている。文様は花鳥・人物・藻魚などで、その周囲石畳文や唐草文・瓔珞つなぎなどで囲むのを通例とする。ただしこの手の赤絵で染付地文をもつものはない。それが古赤絵の一特色といえよう。
高台裏に宣徳や成化の銘をもった例があるが、信ずるに足らない。かつてはこれを真として宣徳赤絵と呼んだこともあった。
景徳鎮窯では明時代中期になると民窯を中心にしだいに五彩,すなわち釉上彩の技法が盛んになっていきました。
この作品は明時代嘉靖年間(1522-66年)頃に景徳鎮民窯で盛んに焼造されたいわゆる古赤絵の典型作です。がっしりとした大型の鉢に,自由闊達なのびのびとした筆づかいで草花文や唐草文が描かれており,赤,緑,黄の濃厚華麗な上絵具が明るく健康的な色彩美を生み出しています。底裏に青花で「大明年造」の銘が記されています。