嘉靖窯 かせいよう

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鶴田 純久の章 お話

中国明代の嘉靖期(1522-62)四十年間に景徳鎖で焼造した磁器。
この時代の染付赤絵その他のものには賞美すべきものが少なくないようです。
青花はもっぱら回青を用いました。
『事物紺珠』によれば、正徳年間(1506-21)に大瑞が雲南の総督に在官中、外国の回青を手に入れて初めは宝石を模造していましたが、そのうちこれを磁器の青花に使用しうることを知ったといいます。
嘉靖の青花はこの回青を用いるが故に極めて美麗であり、西洋人はこれをバイオレット一ブル一(董青)と形容します。
この回青は万暦(1573-1620)初期まで用いられたようであります。
『支那陶磁の時代的研究』に「嘉靖三十八年の末に天山北路を経て回青の大輸入ありたり。
その以前の作品は正徳年代の染付同様土産コバルトと思はるる黒づみしもの多し、之は恐らく回青の欠乏しをりし為ならむ」とあります。
宣徳窯の有名な鮮紅土は嘉靖年間に至って絶えましたので、この後は上絵の磐紅すなわち赤絵をこれに代えるようになりました。
嘉靖窯器は多種多様である嘉靖の胎土は『陶説』によりますと、麻倉の良土が次第に欠乏したのでこの時代の作品は前代のものに比べて劣っているといいますが、『景徳鎮陶録』に引用してある『邑誌』には、万暦の初期においても同様のことがあったと記しています。
嘉靖期の景徳鎮は陶業の最も栄えた時期で、年款を入れた官窯磁のほかに多くの民窯製品が生まれています。
古赤絵や雲堂手と称するものの大半と各種の金欄手などがそれであります。
(『事物紺珠』『陶説』『景徳鎮陶録』『支那陶磁の時代的研究』)カセカル→ビリコセ

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