川喜田半泥子 かわきたはんでいし

Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

非工匠の陶人。
実業家。
1878年(明治一こ生まれ。
本名川喜田久太夫政令。
半泥子・泥仏堂・無茶法師・紺野浦二・其飯・莫迦耶盧主人などの別号があります。
三重県の素封家川喜田家の十六代で、三百五十年の祖業であった東京大伝馬町の伊勢店木綿問屋のほかに電力・銀行・保険などの実業に関係しましたが、早くから書画・俳句・茶道などの趣味生活に入り、陶芸特に茶陶に没入し、大正初年から楽窯を津市の自邸につくり、のち五袋の大登窯を築いて製作、晩年には同市広永の山中に窯を移し弟子を養成しました。
数種の著書がありますが、陶器に関するものとしては『泥仏堂日録』『乾山考』などがあり、作品集には『半泥子六十六怨集』『半泥子八十賀百怨鑑』『半泥子翁回顧展図録』があります。
茶は表千家半床庵久田宗也に学んです。
1963年(昭和三八)10月26日没、八十六歳。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email