岐阜県の陶器。
1890年(明治二三)岐阜市の数人が相謀って風流を主とした楽焼きを始め、翌年震災のため中止しましたが、1896年(同二九)2月に至って再興されましました。
初めのうちは楽焼きでありましたが、のち本窯に改め抹茶器・煎茶器を主として日用品にも及んです。
なおこの金華山の土を用いたと伝えられる者には、永仁(1293-9)頃の瀬戸の三代藤四郎かおり、また織田信長岐阜在城の頃の岐阜焼と呼ばれる御庭焼があるようで、また天明(1781-9)の頃の町奉行黒田六市郎の楽焼きや天保年間(1830-44)荻喜・鈴翁・百曲などが相謀って始めた金華山麓の御山焼などがあります。
(『岐阜県産業史』)