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鶴田 純久の章 お話

京都清水焼の陶工丸屋源兵衛の号。
幕末から明治初期にかけての人。
東丹波で砂質ハデ土を発見しこれに京都東山の土を混ぜて唐津焼を模作しましたが、この模作においては当時京都第一の名手と称され判別が非常に困難な程であります。
二代耕山も模作専門であったが初代よりは見分けやすいです。
一九百暫e劈五)八十余歳で没しました。
(『茶わん』二七)

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