長岡住右衛門 ながおかすみえもん

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鶴田 純久の章 お話

出雲国(島根県)楽山焼の陶工。初代住右衛門は諱を貞政といい、もと布志名焼の陶工であったが、楽山焼が四代加田半六の時不振で一時絶えた折、松江藩主松平不昧がその廃絶を惜しんで、1716年(享和元)初代住右衛門を抜擢して楽山焼五代目とし、その再興に当たらせた。初代は不味の指導もあって名作を出し、楽山焼中興の祖といわれている。子がないので布志名の土屋家二代善四郎政芳の子を養子とし、二代楽山焼六代)住右衛門とした。二代は諱を貞正、空斎と号した。1821年(文政四)絵付技法の修業のため長崎に赴き出雲錦手の発達に大いに貢献した。五代(九代)住右衛門空味は近来の名手として知られている。
※らくざんやき

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