青木宗兵衛 あおきそうべえ

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

京都の陶工。
金花山と号し代々宮中の調度をつくりました。
三代金花山は1869年(明治二)6月鹿児島に赴き竪野および田ノ浦窯に従業、廃藩後も田ノ浦に留まっていたが、1875年(同八)奄美大島に渡り窯を大和浜に築いて製作、値が安いところから大いに歓迎されました。
一年で鹿児島に戻り竜門司焼の改良を志しました。
のち小山田村(姶良郡加治木町小山田)に転籍。
(『府県陶器沿革陶工伝統誌』)

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