徳川家康・蒲生氏郷筆。
消息文(千少庵あて)。
少庵(1546~1614)は利休後妻宗恩の連れ子であったが、利休の養嗣子となり千家第二世を嗣いだ。
天正十九年利休賜死後、蒲生氏郷(1556~196)を頼って会津若松に流寓したが、文禄三年、家康らのとりなしで赦免され、本法寺前に屋敷を与えられた。
この消息はそのときの家康の召出状で、氏郷も連署している。
蒲生氏郷は利休七哲の一人に数えられ、秀吉から台子相伝の許可を得たともいわれ、長次郎作茶碗 利休七種の「早船」を所持したことが知られている。
なおこの消息は、表千家不審庵に伝来する重要文書の一つである。
【伝来】表千家
【寸法】本紙縦22.5 横65.5