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鶴田 純久の章 お話

高さ:8.0~8.5cm
口径:10.2~11.8cm
底径:4.0cm

 「乙御前」の銘は、明らかに茶碗の形姿に、三平二満のお多福、すなわち乙御前の面を連想してのものと推察されます。
 光悦作として知られている名碗十数点の中で、この乙御前ほど作ぶりのおもしろく、そして親しみ深い趣の茶碗はありません。品格の高さでは、「不二山」「時雨」「障子」があり、力強い作為の豊かさでは、「雨雲」「雪峰」「加賀光悦」がありますが、掌中にあって離しがたい親しさでは、乙御前をしのぐものはなく、おそらく宗旦の「ヲトコセ」の書き付けも、茶碗を手にしたとき、ためらいなく運ばれたものと思われます。
 高台は、低く不正の円形に削り出され、高台ぎわで一段くぼみつつ、豊かなまるみをぢつ腰にかけての、自由で、しかも少しもいやみを感じさせない作ぶりは、まことに妙味尽きない味わいがあり、茶碗つくりの常識を越えた、無碍の心のなせる技でした。
 しかし、見込みを見ると底部がかなり持ち上がっていることと、腰まわりに縦に細く三筋、横に大きく一筋、山割れが生じていることから、おそらく高台のくぼみは、茶碗を削り上げたときからのものではなく、焼成中に、自然にめり込んだものではなかったかと推測されます。いわば光悦の無碍の心が、求めていた以上のおもしろみを、自然に誘い出したといえるかもしれません。
 高台を上かち見た姿は、中央の高台がへこみ、腰が三方にふっくらとふくらんで、まさしく三平二満の様相ですが、茶碗の口作りを上から見ますと、これまた三方にまるくゆがんで、ここにもお多福を思わせるものがあり、その口縁の一部は端反りになっています。
 光悦の茶碗はすべてそうですが、見込みに茶だまり状のくぽみを、強いてつけることはなく、いずれも広く大きくとってあります。この茶碗の場合も例外ではなく、今述べたように、焼成中に底が少し内に突き出たため、中央はやや小高くなっています。
 ねっとりとした赤土を用いていますが、その上に、透明性の釉をかな力厚くかけて、当時の赤楽茶碗としては、かなりの高火度で焼成したらしく、釉膚はみごとにガラス状に溶けて、やや粗い貫入が、全面に現われています。その釉色は、少し紫みをおびていますが、これは光悦の赤楽茶碗の特色で、ノンコウにも見ないものです。おそらく、ノンコウの赤楽以上に高い火度で、焼かれたのでしょう。
 高台には目跡が五ヵ所に残り、口辺に山割れのひびが、大小五~六ヵ所できています。
 桐箱の蓋表に「ヲトコセ」とあり、その筆者について、かつての所持者平瀬露香は、「筥書何人を志らず春(花押)」と覆紙にしるしていますが、その筆体から推測すれば、おそらく千宗旦の筆と断じて、誤りないのではないでしょうか。そういえば、光悦と宗旦は、かなり親交があったと思われますのに、著名の光悦茶碗に、宗旦との関係を物語るものが、ほとんどないのは、不思議なことです。
 外箱は、西行庵下村賓栗の筆で、「光悦赤茶碗 乙御前」と書き付けられています。
 古い伝来は不詳ですが、箱書き付けに関連して想像すれば、あるいは宗旦の所持であったかもしれません。のちに大阪の平瀬家に伝来し、明治三十六年、同家の入札のおり、若冠十八歳の森川勘一郎の求めるところとなって、以来、如春翁の愛蔵品となりました。
(林屋晴三)

赤茶碗 銘 乙御前 109

高さ9.0cm 口径10.0~10.8cm 高台径4.0cm
内箱蓋裏に「ヲトコセ」と書き付けているが、その筆者について、かつての所持者平瀬露香は「筥書何人を志らす」と覆紙に記している。しかしその筆体から推測すれば、おそらく千宗旦の筆と断じて誤りないと思われる。外箱には「時雨」の旧所持者西行庵下村実栗が、「光悦赤茶碗 乙御前」と書き付けている。古い伝来は判然としないが、おそらく宗旦所持かと推測され、後に大坂平瀬家に伝わり、明治三十六年森川如春庵の蔵となっている。同氏は光悦の名作二碗、「時雨」とこの「乙御前」を蔵して茶名をはせたのであった。
 「乙御前」すなわちお多福のこと、茶碗を手にすると、いみじくも名付けたものと感じ入る。他のいかなる銘もこれにおよばぬであろう。口部を上から見ると、頬のふくらんだお多福の面相であり、伏せて高台を見れば、高台よりもその回りが高く盛り上がり、まさに鼻の低いお多福の趣がある。口部はだいたい内に抱えているが、一方わずかに端反りぎみのところがあり、胴から腰さらに高台際にかけては、ふたたび求めてもなしえぬ妙味あるふくらみを持ち、胴は全体に楕円になっている。高台は極めて低く、しかもまるく平らな土片を押しつけたかのように削り出され、それが焼成中に少し内に突き上がったため、一段とおもしろい作振りの底回りになっている。
腰回りに太く一筋窯割れが回り、縦にも三筋、口辺には四筋ほど窯疵が生じている。赤土が用いられ、全体にかかった透明柚はよく溶けて、細かく貫入があらわれ、赤い釉色がやや渋い熟柿色であるのも、光悦赤茶碗独特のものである。焼成火度は長次郎焼赤茶碗よりもかなり高いものであったように推察される。

乙御前 おとごぜ

名物。
楽焼茶碗。
この銘のあるものには長次郎作と光悦作の二碗があり、共に形状が三平二満(額・鼻・下あごが平らで両頬がふくらんでいる)の乙御前の面貌に似ているということでこの銘があります。
長次郎作の乙御前は細川三斎が好んで焼かせたもので、黒釉の光沢が美しくカセが少なく茶味は極めて深い。
細川家に伝来しています。
光悦作は黒ずんだ熟柿色が麗しく、裾以下高台廻りに少し白釉が漂い、薄手の作行で形状は丸く、高台は低く、全体に歪みのある意匠の奇抜なものであります。
もと平瀬家所持、1903年(明治三六)名古屋の森川家に入りました。
(『大正名器鑑』)

乙御前 おとごぜ

赤楽茶碗。
光悦作。
丸造りで総体やや薄造り。
口縁にはロ箆あって山道となり、ふっくらとした柔らかな姿である。
高台周りや縦に特有の大割れが出ている。
独特のつぶしたような高台で、落ち込んで一見碁笥底風。
見込は丸々と広く、懐豊かである。
ビ一ドロ釉はよく熔けて光沢麗しく、特有の白みが漂ううちに、熟柿のような独特な光悦赤が見事である。
光悦の柔らかく豊かな作風のうかがわれる作で、銘は抱えロの豊満な姿から名付けたと思われる。
【付属物】箱-桐白木、蓋裏平瀬家角印・瓢印
【伝来】大阪平瀬家-尾州森川家
【寸法】高さ8.2~8.8 口径10.0~11.6 高台径4.0 同高さ0.4 重さ370

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