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鶴田 純久の章 お話

中興名物
高さ:7.5~8.3cm
.口径:14.4~】4.7cm
高台外径:5.6~6.0cm
同高さ:0.9cm
 『大正名器鑑』第八編には、伯庵の名碗として関戸家のこの茶碗のほか、冬木・奥田・土岐・宗節・酒井・朽木・天王寺の八伯庵茶碗をあげています。それ以外にも鴻池家伝来のものなど何点かあるが伯庵は遺品の数の少ないもので古来わが国の茶碗ではとくに尊ばれているものです。
 その中でも関戸家のこの伯庵は伯庵の本歌とされ随一の名器とされています。もっこりとした形、しっとりとした釉調同じ伯庵でもほかの茶碗に比べ柔らかく親しみがあり、とくに高く評価されているものです。『目利草』には伯庵の七契として、なまこ薬・飛び薬・白土・枇杷色・高台の竹の節・片薄・茶だまりをあげ、また『名物目利聞書』には伯庵の十誓(十二品)として、枇杷色・生海鼠薬・しみ・高台片薄・高台縮緬絞り・轆轤(ろくろ)目・きらず土・茶だまり・小貫入・端反り形・(竹の節)・(飛び薬)をあげています。
 高麗茶碗で井戸をとくに尊んでいるのと同じように、わが国の茶碗では伯庵をとくに尊び、そのためにこのような見どころもあげているのでしょう。
 伯庵は、いつどこでつくられたということが、今日まだはっきりとしない謎の茶碗です。
 古来瀬戸の伯庵といわれていますが、瀬戸のものか、美濃のものか、それとも朝鮮のものかふ一はっきりとしません。
 関戸伯庵の素地は、ざらっとした中に粘りのある卵殻色の土で、露胎の部分はよごれて黒ずんでいます。わずかに鉄分のある、しっとりとした釉薬が内外面にやや厚くかかり、荒い貫入が内外面にあります。腰以下は露胎で、高台の内に俗に飛び釉と呼んでいる、ぽとりと粉薬のかかったところがあります。
 焼成は酸化ぎみで、黄瀬戸にちかい釉調ですが、どこかくすんで、濁った感じです。釉色は俗に枇杷色とよぶように、淡黄かっ色を呈していますが、斑と呼んでいる斑状に明るく赤味をおびたところがあります。万造りはぼってりとしていますが、縁造りは比較的に薄く、わずかに端反りぎみになり、碗形の胴を大きい高台がささえています。高台は低いが竹の節になり、底裏の削りは片薄で、まん中のうずを見ると左回りの轆轤(ろくろ)で削ってあります。見込みには茶だまりもあり、伯庵七契を十全具備した茶碗です。
袋 金入色替緞子
内箱 桐白木 蓋表貼り紙書き付け「瀬戸伯庵 茶碗」小堀遠州
中箱黒塗り 面取り朱漆 蓋表貼り紙書き付け「伯庵」筆者未詳
外箱 桐白木 蓋表「瀬戸 茶碗 伯庵」筆者未詳
添え書き付け 一通
 もと幕府の医官、曽谷伯庵が所持していたと伝えられ、ついで淀の稲葉家に伝わり、その後転々としましたが、江戸深川の豪商、鹿島清左衛門が入手しました。明治四十年、井上馨侯爵の所蔵となり、大正十四年、井上家の入札の時、三万六千円の高値で名古屋の関戸氏が落札したと伝えられています。
(小山冨士夫)

伯庵 本歌

中興名物
付属物
内箱 桐白木 貼紙 書付 小堀遠州筆 外箱 黒塗 面取 朱塗 貼紙 書付
伝来
曽谷伯庵―淀侯稲葉丹後守―江戸鹿嶋清左衛門―井上世外―関戸家
所載
古今名物類聚 伏見屋筆 名物茶碗集 戸田家手控 雲州松平家本茶器便覧 茶入茶怨目利書 極秘目利書 潭海 茶器目利集 目利草 名物目利聞書 草間和楽著 茶器名物図彙 寛政重修諸家譜 遠州所持名貨帳 茶器図寸法書 桜山一有筆記 古今茶湯集 東都茶会記 第一輯下・第三輯上
寸法
高さ:7.1―7.9cm 口径:14.4―15.0cm 高台径:6.0cm 同高さ:0.8cm 重さ:350g

 この茶碗も、最初は茶碗として造られたものではありません。もともとは、北朝鮮の会寧あたりで焼かれていた雑器で、それを真似て日本で茶碗として造ったものらしいです。
 これを茶碗と見立てたのは、濃茶を意識してのことで、薄茶茶碗ではありません。では、濃茶というものは、いつ頃からはじめられたものか、まことに素朴な疑問ではありますが、筆者はまだ確答を得ていません。
茶碗の系譜としては、黄瀬戸の類に属します。伯庵という名称は、幕医の曽谷伯 庵が所持していたことから起きていて、こうした同類の茶碗を、すべて伯庵とよびます。伯庵のタイプは、井戸茶碗にも似たおおらかさがありますので、ひろく好まれたものと思われます。

伯庵 はくあん

幕府の医官曾谷伯庵(1630、寛永七年没、六十二歳)の所持していた茶碗を本歌とし、その手のものを伯庵といいます。
陶祖藤四郎の作であるといい、利休時代の黄瀬戸ともいい、あるいは朝鮮製とも中国製ともいい、諸説人り乱れています。
昔から伯庵の十誓といって十の約束があります。
1)枇杷色、2)海鼠釉、3)しみ、4)高台片薄(半月形)、5)高台縮緬絞り、6)轆轤目、7)きらず土(素地が豆腐のきらず色)、5)茶溜まり(茶碗の内部の底)、9)小貫入(茶碗全体に細いひび、すなわち貫入があること)、10)端反り(茶碗の口縁が外部に反り返っている)。以上のほかにさらに高台が竹の節であること、高台に飛釉があることの二点を加え、合わせて十二品といいます。
さらに故老の秘伝というものによれば、茶碗を伏せて上から見ると高台が中心より横にはずれているとのこと。雲州松平家蔵の冬木伯庵はこの十三の約束をことごとく備えています。
この手はまれで『古今名物類聚』には七種、『名物茶碗集』には七種、大阪戸田弥七家の万治・元文年間(1658-1741)の手控えには十六種、『茶器名物図彙』には十種、『大正名器鑑』には八種が載せられています。
伯庵茶碗に関する諸説の一部を次にあげると、『茶盛茶怨目利書』『極秘目利書』に「曾谷伯庵家に有りし故、初て宗甫伯庵と名付きます。
尾州瀬戸窯、三つの習あるようで、地薬枇杷色、熊川がた、高台より上にて土を見る、土細かにざんぐりと、土に見所あるようで、地薬の内に生海鼠といふものあるようで、口伝」、『譚海』に「古瀬戸の名器は伯庵と云ふ、至て稀なる物なり、古瀬戸焼の元祖也、井戸より価高きもの也、なまこ薬と称するを第一とす、薬の跡多く付たる程を極品とす」、『茶器目利集』に「伯庵、尾州瀬戸竃、曾谷伯庵家にある物、遠州伯庵と名付く。形熊川の様にて、高台作違、地薬薄玉子色、小貫乳あるようで、土荒き目、薄茶土和かなり、依て三つの習あり。呑口片薄なり、但し片薄といふは呑口の外を箆にてそぎたる様の形あり。亦呑口の内の方にてそぎたる様なる形あるようで、尤も箆目に長短有之。高台片薄あるようで、高台の内に飛込と云ふことあり。右の薬高台の内、大小二つ三つあるようで、亦一つ飛込たるもあり芥子程飛込薬あり。証拠とする三つの習、一つにてもかけたるは伯庵に非ず。外に生海鼠薬と申す物あるようで、是は内にも外にもあるようで、極まらず。生海鼠あるを賞翫す、無之は位落る。四つの習揃ふ伯庵は、価五百両。藤四郎作、曾谷伯庵、遠州時代に六つ所持の由」、『和漢名器便覧』に「伯庵、黄瀬戸也曾谷伯庵家より出でたる故名付けきます。
黄飴薬濃き枇杷色、腰に生海鼠薬あるようで、飛薬、高台の内に類、内外轆轤目端反り茶溜りあるようで、惣体に染あるようで、高台竹の節片薄、是を約束揃ひたりと云ひ賞翫す」、『目利草』に「伯庵、一説に瀬戸の伯庵は藤四郎作なりといふ、黄瀬戸なり、茶碗七契あり。なまこ薬、飛薬、白土、枇杷色、香台の竹の節、片薄、茶溜」、『本朝陶器孜証』に「伯庵、藤四郎作といふ、上作にて高麗物の如し、惣体薬黄色にて、出来よく、鼠色にもなります。

伯庵 はくあん

伯庵茶碗、本歌。
中興名物。伯庵茶碗は今日もなお出生地を正確につかめないが、一説には北朝鮮の会寧あたりで焼かれていた雑器をまねて、美濃で焼成したという。
はじめから茶碗として生まれたもので、濃茶を意識している。
茶碗の系譜としては一応黄瀬戸に分類させている。
「伯庵」の名称は、幕医の曽谷伯庵所持によるもので、この同類はすべて伯庵と呼び、作風のおおらかさが広く好まれた。
【付属物】内箱-桐白木、貼紙書付小堀遠州筆 外箱-黒塗面取朱塗、貼紙書付
【伝来】曽谷伯庵-淀侯稲葉丹後守-鹿島清左衛門-井上世外-関戸家
【寸法】高さ7.1~7.9口径14.4~15.0 高台径6.0 同高さ0.8 重さ350

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