長次郎 黒楽茶碗 銘 あやめ

長次郎 黒楽茶碗 銘 あやめ
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鶴田 純久の章 お話

所蔵:熱海美術館
高さ:8.3~8.9cm
口径:10.2~10.5cm
高台外径:4.6~4.8cm
同高さ:0.5~0.6cm

 「あやめ」は、長次郎の黒楽茶碗のうちでも、不思議な魅力のある茶碗です。黒といっても、その中に茶がかったところもあり、白けたところもあり、複雑な色をしています。形は一見、大黒に近いですが、よく見ると口づくりも違い、腰のふくらみも違い、高台の作りも違っています。大黒よりは厚みのある、どっしりとした感じの茶碗で、低い高台は、いかにも地についたという感じです。初代長次郎・宗慶・宗昧・常慶の初楽のうち、だれの作でしょうか。『南方録』には、利休が天正十五年五月四日の茶会に、あやめを使ったと書いてありますので、おそらく初代長次郎と見るべきでしょうが、同じく初代長次郎の作でも、大黒・太郎坊に比べますと、自由な気持ちで作った、柔らかさがありますが、また、どっしりとした重々しいところもあります。
 「あやめ」には一つの思い出があります。戦いの激しくなった昭和十九年か、二十年の春だったと記憶します。空襲警報が発令されて、まっ暗な夜、鎌倉の私の家をたずねた人があります。
 鳥海青児画伯と今東光師で、「あやめ」を私に見せてやりましょうと、わざわざ持ってこられました。電気はつけられませんので、ろうそくの灯でこれを見ましたが、明るい光では見られない、胴の細かい起伏に、何ともいえない複雑なものがあり、深い感銘を受けました。一夜明けたあくる朝、太陽の光でもう一度見ましたが、前夜の感激は朝露のように消えてしまい、何の感激もなかったことがあります。昔、微服で茶会をしていた時には、いま見えないものが見えましたし、いま見えるものが見えなかったかもしれません。長次郎の茶碗のうちでも、不思議な魅力のある茶碗です。
 素地は見えませんが、荒い砂けのある赤土でしょう。これに光沢の鈍い、古びた皮のような茶黒い釉薬が、厚くかかっています。内面や外側口辺は比較的に黒いですが、胴は茶かっ色にかせ、裾から底にかけては、それが特に著しいです。
 成形は手づくりで、口はこんもりと、かかえぎみになり、腰がわずかに張り、ふっくらとした底を、低い、分厚な、安定した高台がささえています。底裏は浅くへこみ、兜巾はありません。畳つきに、大きな目跡が五つあります。
 付属物。内箱は杉白木で、利休の筆で蓋表に、「長次郎焼茶碗」とあり、蓋裏には元伯の筆で「あやめ(花押)」と書かれています。外箱は桐白木で、蓋表に「あやめ長次郎作(花押)」と元伯が墨で書いています。
 伝来は、もと利休が所持し、のちに永楽善五郎から草間伊兵衛に譲られたことは、添え状によってわかりますが、その他のことはつまびらかでありません。
(小山冨士夫)

黒茶碗 銘あやめ

高さ8.9cm 口径10.2cm 高台径4.6cm
MOA美術館
『南方録』に「茶碗 黒 渓孫」として、千利休がこの茶碗を三回用いたことが記されていますが、『南方録』の記述であるから信憑性はうすいです。内箱蓋裏に宗旦が「あやめ 旦(花押)」、内箱蓋表にも「長次郎焼 茶碗」と書き付けています。蓋表を利休の筆とする人もいますが、利休が「長次郎焼」と記した例は他に見ませんので、おそらくこれは誤った推定と思われます。「まこも」の中箱に久須美疎安が「あやめ八千宗守二有之」と記していますので、おそらく宗旦からー翁宗守。
そして官休庵に伝わったと思われますが、後に永楽善五郎の所持となり、草間伊兵衛に譲られたことは添状によって明らかです。
「大クロ」や「俊寛」の形式とも違った独得の作行きの茶碗であり、現存する長次郎茶碗のなかでは佗の趣深い名碗の一つです。
口造りは「俊寛」などの手と似て内に抱えていますが、全体かなり厚手に成形され、胴に僅かにくびれをつけ、腰から高台際にかけての傾斜はやや強いです。高台は小振りで低く、高台内の兜巾は渦がなく、畳付には目跡が五つ残っています。黒釉は、長次郎焼特有の黄褐色のかせがむらむらとあらわれ、いかにも古色蒼然とした趣です。しかし、使い込めばあるいは変化するかもしれません。見込はいちだんとかせており、いわゆる茶溜りはありませんが、かなり深く削り込まれています。釉がかりも厚いようで、内外に幕釉のように見えるところがあります。長次郎外七種の一つ。

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