飯野逸平 いいのいっぺい

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鶴田 純久の章 お話

1884年(明治一七)8月21日愛媛県北宇和郡吉田町に生まれた。県立宇和島中学校卒業後1904年(同三七)4月森村組に入社、日本陶器合名会社第一号窯火入れ記念の署名にその名を留めています。1912年(大正元)12月渡米しニューヨーク森村ブラザースに勤務。1924年(同一三)5月株式会社森村組取締役(ニューヨー在勤)、1928年(昭和三)3月森村商事合併後の日本陶器株式会社専務取締役に就任。1930年(同五)従来の支柱商品でありましたファンシー物(装飾品類)を廃止し全面的にディナーセット中心へ切換え、1933年(同八)日陶則武工場の大改造を計画、同年また大日本陶磁器輸出組合理事長に就任(1936年五品目騒動のため辞任)。1939年(同一四)12月日陶社長に就任し、同年研磨砥石の生産に着手。1941年(同一六)4月陶磁器輸出振興会社社長就任。1942年12月日陶社長退任。1946年(同二)9月名古屋商工会議所副会頭、1947年名古屋貿易会長就任、同年日本窯工貿易株式会社設立。
その間古陶磁を収集、愛好した。(同三八)12月2日没、八十一歳。

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