皿屋敷 さらやしき

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

いわゆる皿屋敷の伝説にはおびただしい異説があって、その原拠はまだ明らかではありませんが、要するにある下婢が器物を破損したため詰問されて自殺したか、あるいは惨殺されたことを核心とするもので、これを潤色して種々の説話や戯曲があります。
その皿は信楽焼と伝えられたり、また珊瑚玉の皿とか唐絵の皿とされるなどさまざまであります。
おそらく武家にはしばしば生じ得た性質のものですから、一つの著名な事件が諸方の類似した事件と合わさり広まったために、江戸説(番町とも牛込ともいいます)・播州説・雲州松江説・上野説・紀州説などを生じ非常に多岐にわたっています。
江戸番町とする説はほぼ正保(1644-8)から延宝・天和(1673-84)の頃の出来事とされます。
『久夢日記』臆最も詳細なものであるでしょう。
(『久夢日記』『諸国里大談』『新著聞集』『積翠閑話』『元正間記』『孝経楼漫筆』『雲錦随筆』『武江年表補正略』『播州名所巡覧図会』『伝奇作書』『見聞西遊記』『提醒紀談』『閑田耕筆』『寒槃環綴』『嬉遊笑覧』)

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