山東古窯址群 さんどうこようしぐん

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鶴田 純久の章 お話

和歌山市伊太祈曾・南畑・佐須口・吉礼・吉里など旧海草郡東・西山東村の丘陵地帯や山麓部に群在する須恵器窯跡群。
須恵器窯跡は全国的に有名な岩橋千塚古墳群の所在する岩橋山塊(天王塚山・大日山)の南麓と、その南方の丘陵部一帯に分布します。
窯跡の実数は未だにつかめていないがおそらく数十基に上るものとみられ、須恵器窯跡の一群としてはかなり大規模なものであります。
これまでに発見された窯跡のうち最古の時期に属するのは吉礼・砂羅之谷窯址で、その年代はほぽ六世紀後半にさかのぼります。
以後奈良時代まで絶えることなく存続し盛んに須恵器生産を行ないました。
山東古窯址群における須恵器窯の構造はいずれも半地下式’の害窯であるようで、その製品も大阪の陶邑窯をはじめとする近隣の須恵器窯で生産される製品との間に、特記すべき差異を認めることはできないようです。
なお山東古窯址群の西限に当たる和歌山市森小手穂では埴輪を焼いた窯跡も発見されています。

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