射和万古 いさわぱんこ

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鶴田 純久の章 お話

伊勢国飯野郡射和村(三重県松阪市射和町)で産出した万古焼の一派。
万古焼の創始者である沼浪弄山の姻戚竹川竹斎が始めました。
竹斎は国学に詳しく、産業を起こし盛んにすることを思い立ちました。
1855年(安政二)四十七歳の時、村民に技術を教えるために自宅に万古窯を築き、竹川家に伝えられた弄山の手法で陶器の製造を試みました。
内山宗五郎がこれを管理し、京都・江戸などから職人を招いて漆器や磁器を嵌め込んで破笠の作に倣った精巧な品その他を製出しました。
一時井田吉六がこの窯に来て助力したと伝えられています。
積徳園または雲錦園の印を押し弄山から伝来した古印も併用。
しばらくして事業は中絶したが射和万古の名は長い間いい伝えられました。
『内山宗五郎古写本』『日本陶器目録』『日本近世窯業史』

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