南方録 なんぼうろく

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鶴田 純久の章 お話

茶書。
南坊録ともいいます。
利休の弟子で堺南宗寺の塔頭集雲庵の二世南坊宗啓の伝書。
筑前(福岡県)黒田藩の家老立花実山の手によって世に出で、近代には茶の聖典とさえいわれましたが、また仮托の偽書とする説も多いようです。
七巻より成り覚書・会・棚・書院・台子・墨引・滅後の巻に分かれ、前五巻にはいちいち利休生前の奥書証明があるようで、墨引巻はあまりの秘事につき利休から大中にせよと命ぜられたもの、滅後の巻は利休没後の追記で、奥書に文禄二年(1593)2月28日先師の三回忌に供えられ宗啓自身はこれを期としてその行方をくらましたといわれます。
この書は永く埋没していたが1686年(貞享三)実山が、京都何某方で本録五巻を発見して書き写し、その後さらに宗啓の血縁の堺の納屋宗雪なる者の所持した墨引と滅後巻を乞うて2日間で写し得たといいます。
ここに合わせて七巻完備、時に1690年(元禄三)まさに利休百年忌に相当たり不思議の因縁であると実山は感激しています。
当時実山は半雲斎衣非了義や三谷古斎と共に藩の茶道である土屋宗俊の流儀を学んでいましたが、この南方録が真に利休の秘奥を伝えるものであることを知り、改めてこれに帰依し深く秘蔵して他見を許さなかったとありました。
1705年(宝永二)に至り実山の弟の寧拙、その子の虚谷、了義の子固本、大賀宗恩の四人に特に書写を許して、ここにこの秘本の伝流が始まりました。
以後この流を南坊流といい実山はその祖とされるようになりました。
この書はカネワリなどという絶えて他書に見られない利休の秘事茶伝とその禅的精神の深処を説き、利休流の茶の大き尨体形を詳細にしていますが、その全部が真伝であるかどうか。
これは元禄時代(1688-1704)利休に対する讃仰と回帰運動の現れとして実山一派の文化人グル一プによる擬製されたものではないかとみる研究もあります。
ただこの膨大な内容にはなんらかのよるべき古資料のあったことは事実であるでしょう。
『茶道古典全集』第四巻所収。
本録七巻のほかに参考として秘伝・追加・目録と実山の『壺中炉談』『岐路弁疑』『実山茶湯覚書』を採録しています。
なお宗啓その人は慶蔵主ともいわれ堺の富商淡路屋の出、禅通寺の春林和尚に参じ中節の茶杓を創案した人と伝えられます。

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