南里嘉十 なんりかじゅう

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鶴田 純久の章 お話

肥前有田白川の陶家。
田代半次郎・深海乙吉と並ぶ当時の名工で、鮮麗な青花・光沢のある釉・極真焼などに非凡の技術を現し鍋島家の御用を勤めました。
製品は食器が多く、四角の中に篆字で嘉寿または単に嘉とだけ書いた款を用いました。
1853年(嘉永六)4月没七十一歳二代嘉十はまた父のあとを受け精巧を極め、1880年(明治一三)六十歳で没しました。
養子の平一は有田町長となったため徐々に製造を止めました。
(『有田磁業史』『有田古陶磁銘款集』『茶わん』一一)

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