美濃焼の功労者。
1875年(明治八)8月T日岐阜県大垣に生まれました。
1901年(同三四)東京工業学校(現東京工業大学)工業教員養成所窯業科を卒業と同時に、岐阜県土岐郡立陶器工業学校に赴任しましたが、在職三年にして病のため辞職。
その後十二年間セメント会社・鉄道院総裁官房研究所に勤務し、再び岐阜県工業技師兼岐阜県土岐郡立陶器工業学校長となり、以後1946年(昭和二回岐阜県陶磁器試験場長を退職するまで、ひたすら子弟の育成と岐阜県陶業界の発展に尽力しました。
特に美濃焼の原料調査、陶磁器上絵付製品の鉛毒問題、精炻器の創製とその普及、美濃古窯址の発掘調査、戦時中の代用陶磁器の研究、海綿鉄の研究などに業績が多いようです。
1961年(同三六)9月10日没、八十六歳。