Picture of 鶴田 純久の章 お話
鶴田 純久の章 お話

『匋雅』に「窯内の火候験かに緊り釉ちゞみて胎骨の露出し、既に稀にして且つ微、断つが如く続くが如きものこれを縮釉といふ云々」、また「古窯の釉汁にして往々その甕骨を露はし、その露出せる素地やゝ小なるものを縮釉といふ、縮釉の形相をくらぶるにまた長短屁細の不同あるようで、大抵明甕はやゝ長く康煕窯の甕はやゝ細し、雍正乾隆の官窯已に縮釉絶えて少きなり」といいます。
『飲流斎説甕』の説疵偽の章に「疵あれど之を疵と謂ふを得ざるものx一に縮釉を列したり。
蓋し宋元のものに常にあるところにして且つこれによりて製作の確拠を証するものあるを以てなり」とあります。
わが国でいう蛇蝸釉の一種であるでしょう。
偶然に生じたものと意識的にしたものとの二つがあります。
シュケ薩摩竜門司焼の蓋物壺。
鹿児島地方で香物を入れる壺をこのように呼びます。

前に戻る
Facebook
Twitter
Email