白川窯 しらかわがま

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鶴田 純久の章 お話

現在佐賀県西松浦郡有田町白川区の内。
有田泉山原料の発見者金ヶ江三兵衛(李参平)が築いた最初の窯は、その天狗谷の窯ノ谷というところにあります。
元来白川は九十九渓という異名がある程の狭溢の土地で、古くは上中下の三窯があるようで、うち上白川は元和(1615-24)頃から焼き始め三十年くらい焼いたらしく、1637年(寛永一四)頃の記録にもみえます。
その製品は原始的な磁器でありますが、その南わずかに五〇メートル余りの中白川窯にいたっては、原始期より発達期までの欠片を具備し、染付の爛熟期を経過して大明成化年製の模造および鉄足の青磁、乾字の銘などもあります。
その上中の中間からの出土品中に、万治四年(1661)皿屋宇右衛門と草書してあるものがありますが、中白川は文政(1818-30)頃の不景気のため廃したようであります。
なお下白川窯は1876年(明治九)の陶業盟約に深川真忠の所有かつ支配でありましたが、1904年(同三七)頃廃窯しました。
現在は上中下の区別はないようです。
(寺内信一)

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