肥前国(佐賀県)大川内窯は、1871年(明治四)の廃藩と共に鍋島家の保護が止んだためほとんど廃窯の悲運に瀕しましたが、1877年(同一〇)に精巧社を組織し、鍋島家の助力を仰いで更生策を講じました。しかしうちわもめが絶えず、再三組織を変更しついに解散しました。