高知県安芸郡田野町にあったものです。文政年間(1818-30)に京都の大川合林太郎が創始。林太郎は手琥釉が巧みでありました。なお1907年(明治四〇)頃山本常五郎もこの窯に従事したことがありました。(『尾戸焼』)