宗伯については由来が諸説あるようで、『別所吉兵衛一子相伝書』には「本武州川越の人近年京都に上り耳付茶入を焼、茶入より茶碗多し、武州にては伯庵と云」とみえ、『陶器考付録』には「遠州時代陶工にあらざる京住茶入作人の一人割印〇と見えたるも別本によれば利休の孫干宗旦の初名なり」とあります。
『工芸志料』は天正より寛永年間(1573-1644)の著名な京工の一人とし、また『日本陶甕史』には「天正より元和頃の人(利休より遠州時代)にして姓を曾谷と称し武州川越に生る、はじめ伯庵と号せしが後京都に移る、野々村仁清はこの人より陶法を受けたるなり、その作に名物キカ猿の茶入あり」とみえます。
また諸書に宗伯と土佐国(高知県)尾戸焼の開創久野正伯を、仁清の師弟関係において混同しています。
※はくあん
宗伯 そうはく
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