長興庫 ちょうこうこ

marusankakusikaku
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鶴田 純久の章 お話

朝鮮李朝の三島手の陶磁に白象嵌または鉄釉で長興庫と書かれたものがあります。
1393年(李朝太祖元)高麗制によって長興庫を置き、席子・油花・紙地などを司らせました。
司饗院の官が朝鮮各道に出張監造した陶磁器は、木工品と共に京城に輸送されると長興庫に収納保管され、必要な時に各殿諸司にこれを給し、用が終われば再びこれを還納させました。
しかし官物の窃取私蔵の弊が大きく帰納の際は五分の一にも減るのが常でしたので、1417年(太宗一七)上納の陶磁器・木工品には長興庫の字を刻ませ、その他の諸司にもこの例に倣つてその司号を刻ませて上納させ、この標識のある器皿を私蔵する者は官物を盗んだという罪に問うことになりました。
この次第は『李朝実録』に詳しくみえます。
それゆえ一般的にこのような官筒司号の刻名のある三島手は1417年以前にはさかのぼらないと考えられます。
器皿には単に長興庫とあるもののほかに地名を冠したものもあるようで、すでに知られているものに、慶州・慶山・密陽・昌原・蔚山・礼安・海州・晋州・彦陽・金山・星州・梁山などがあります。
これらはその地に長興庫が分置されていたのではなく、各地において熔造したという標記であります。
名を入れたのはその磁器所の熔造品に責任をもたせるためであったろう。
したがって地名を冠した器皿は、その地の磁器所の爆造品のうちの最もよい標型として尊重すべきであります。
長興庫の朝鮮音はチャンフンコ。
(『朝鮮陶磁名考』奥平武彦)

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