殷の遺跡といえば中国河南省安陽の殷墟ですが、殷墟は殷代後期に盤庚が遷都してから殷滅亡までの都でした。
解放後の新建設に伴って、同じ河南省のやや南部にある鄭州市周辺で、竜山期から戦国期に至る多くの遺跡が続々と発見されて注目を引きましたが、中でも鄭州市域東南の二里肖における殷代前期文化遺跡の発見は最も重要な成果の一つでした。
二里肖の殷代文化層は上下二層に分かれ、上層である「二里肖上層」が安陽殷墟とまったく同一の文化内容であるところから、「二里尚下層」の殷文化層は安陽殷墟に先立つ殷代前期の文化層であることが初めて層位的に確実なものとなりました。
これを標式として各地で殷代前期遺跡の発見が続き、河南省輝県・河北省郎郭、それに河南省安陽殷墟からも同様の文化遺跡が発見されるに至りました。
この殷代前期の土器の特色は、大部分が灰陶で器胎が比較的薄く、文様はこまかい縄萌文を主とし銅器と同様な饗饗文・雲雷文などがあり、器形にはM・甑・豆・綴・甕それに大口尊などがあります。
M・甑などの三足器の足部は錐状に細く尖り、口縁が外巻きであることも殷代後期のものと異なる著しい特色である。
二里肖では銅容器はなくわずかに銅鏃などがあるのみですが、輝県はじめ他遺跡によって殷代前期の銅容器も明らかとなっています。