尾張瀬戸の陶工川本貞二(禎二とも書く)の所製をいいます。貞二は人物・置物などの小品に巧みでしたが、のち江戸角筈(新宿区)にあった魁翠園焼に従事しました。また貞二の弟子の林蔵は名古屋付近の川名窯で貞二の模型を用いて製作しましたが、林蔵自身の作品ははなはだ劣っていたといわれます。(『瀬戸陶業史』)※かわもとていじ