瀬戸後窯茶入、利休窯。
中興名物。
胴の一面に地蔵形の箆があることから小堀遠州が命銘。
もと江戸深川の豪商冬木小平次が所持していたもので、天明四年松平周防守の有となり、さらに奈良屋茂右衛門に移り、のち京都の入札に出て赤星弥之助に納まり、大正六年同家入札で野村家の蔵となりました。
形姿は口造りが手強く、捻り返しも深いです。
肩はかっきりと衝き、胴はほぼ円筒形ながら腰のあたりで少しふくらみ、裾から底へとすぼんでいます。
そして胴全体に粗く轆轤目がめぐっています。
何といってもその特徴は、銘の由来となっている胴の一面の中ほどから下部へかけてのそぎ箆の景で、いかにも地蔵の立姿を想わせるものがあり、これは利休瀬戸ならではの遊び箆の妙であるといえましょう。
釉景もこの箆とかかわって面白い変化をみせ、総体に光沢麗しく、ことに地蔵の面は濃厚なる柿色を呈して、の動きをくっきりと浮き出させています。
他面には一筋なだれもあり、切り箆も二面みられます。
地蔵の面の左下方には火間がみられます。
『古今名物類聚』『隣鳳亀龍』『千家中興名物記』などに記録されています。
なおこのほか利休窯の名物としては、「谷川」「因幡堂」「鏡山」「育王山」などが知られます。
【付属物】蓋 仕覆―二、富田金襴御朱印裂(図版右より) 仕覆箱タガヤサン白木、書付松平周防守筆家|鉄刀木、金粉字形・書付小堀遠州筆内箱―白木、書付同筆
【伝来】冬木小平次―松平周防守 奈良屋茂右衛門——赤星弥之助—野村家
【寸法】 高さ:9.1 胴径:5.8~6.0
地蔵 じそう
中興名物。後窯茶入、利休窯。
胴に地蔵尊の形をした箆づくりがあるのでこの名があります。
光沢の鮮麗な肩衝茶入で、景色の奇異な一種無類の茶入であります。
冬木小平次所持、松平周防守、奈良屋茂右衛門、赤星弥之助を経て野村家に大りました。
1917年(大正六)の赤星家大札では七万七千円でありました。
(『古今名物類聚』『麟1亀龍』『大正名器鑑』)