長門国大津郡深川村三ノ瀬(山口県長門市深川)の陶器。
文禄・慶長の役(1592-8)の際毛利輝元に従って朝鮮よりわが国に来た李勺光の子作之丞光政は秀就に仕え、1625年(寛永二)命によって山村新兵衛と改称しました。
1658年(明暦四)没。
開窯はその子すなわち勺光の孫平四郎光俊からで、その後山村窯は明和(1764-72)頃に絶えたが、そのあとを坂倉藤左衛門が継いでします。
この頃にはすでに同業者が数戸に及び、坂倉も私製を兼ねることが許されました。
なお今日その製品は萩焼として通り、深川焼の称はないようです。
(『陶器考付録』『本朝陶器孜証』『茶道笙蹄』『観古図説』『府県陶器沿革陶工伝統誌』『陶器類集』『日本近世窯業史』『日本陶甕史』)※やまむらしょうあん※はぎやき