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鶴田 純久の章 お話
法花 ほうか
法花 ほうか

中国で浮模様のことをいいます。
また凸離ともいい、花紋が陽文になって素地の上に凸起したものです。
法花の器は中国元代に始まり明代になって盛んにつくられました。
大抵どれも北方の窯で、そのうち蒲州(山西省永済)一帯でつくられたものが最も美しく、藍は深色宝石の藍のよう、紫は深色紫晶の紫のよう、黄は透明の琥珀のようで、生物・草花の類の模様が多いようです。
平陽府宙州でつくられたものはその胎が半瓦質に属し、ほぼ紫に近い藍色や黒に近い緑色を発しますが、精巧品ではないようです。
西安・河南のものは平陽府雷州に比べればほぽ鮮かで美しいです。
それは甕胎に属するからであります。
清初景徳鎮で模造するようになり、もっぱら破璃釉を用い、花紋は美しく地質はこまかく、人物・鳥獣は非常にこまかいところまで表されています。
雍正(1723-35)以後にもときどき模造されたがすでに良工はいなかりました。
そのため乾隆(1736-95)の製品は成功ではあるが雛甕の範囲に人り、法花の古製器に匹敵するものはまれであります。
その他についてはいうまでもないようです。
(『匋雅』『飲流斎説甕』)

法花とは、さまざまな色の釉薬を素地に直接掛け分けて彩る三彩の技法の一種であります。
細い界線を盛り上げて文様を区切ることにより、釉が流れて入り混じることを防ぎ、三彩独特の濃く鮮やかな色彩と、明時代に流行した絵画風の文様表現とを両立させています。
この壺は、わが国に伝わる法花の代表的な優品であり、江戸幕府の重臣、青山家に伝来しました。

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