松屋会記 まつやかいき

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鶴田 純久の章 お話

奈良の富商通称松屋源三郎久政・久好・久重三代の茶会記。
家伝の記録中から他会記を選んで久重が編集したものといわれます。
久政会記は1533年(天文二)から1596年(慶長元)まで、久好会記は1586年(天正一四)から1626年(寛永三)まで、久重会記は1604年(慶長九)から1650年(慶安三)までで、実に百二十年に及ぶ貴重な大記録であります。
松屋は東大寺八幡の神大塗師から身を起こして次第に富を築き、久行の時珠光の弟子古市播磨に師事し、すでにもと珠光所持の有名な松屋三名物松杢肩衝(松屋肩衝)・徐煕の白鷺の絵・存星の長盆を譲られていました。
次の久政は1598年(慶長三)4月4日没、七十八歳。
その子久好は1633年(寛永一〇)没。
その次の久重は1652年(慶安五)8月、八十六歳で没し、いずれも当代一流の茶入大宗匠と親交しています。
この書は『松屋筆記』『松屋日記』『土門筆記』その他の称がありましたが、永島福太郎により『松屋会記』と考定され『茶道古典全集』第九巻に収められています。
なお松屋関係の茶記録としては久重が別に編纂した利休伝・織部伝・三公説・宗甫伝の一部四冊があるようで、これは松山米太郎によって『茶道四祖伝書』として刊行されました。
また『松屋名物集』『春雀集』も久重の編述であります。
さらに子孫の松屋元亮には1738年(元文三)の『茶湯秘抄』五巻があります。
松屋代々は、三名物の所持をもって、珠光伝の茶系を誇っていましたが、安永(1772-81)・文化(1804-18)頃から次第に没落してしまったヅ(『茶道古典全集』九)

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