宮川香山 みやがわこうざん

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鶴田 純久の章 お話
宮川香山作白雁香合
宮川香山作白雁香合

横浜の陶家。
本名寅之助(虎之助)。
十代真葛長造(香斎、一説に香山)の子として1842年(天保一三)に生まれました。
1860年(万延元)家名を継ぎ古器の模造をよくしました。
しばらく備前国(岡山県)虫明焼に従事しましたが、1871年(明治四)横浜の商人鈴木保兵衛に招かれ同地太田町(南区大田町)で窯を開いました。
すなわち真葛焼であります。
初め薩摩製の錦手を模造しましたが、のち花瓶の肩のあたりに大きな凹みをつくり、ここに蜘蛛の糸を精細に掛け渡し一匹の蜘蛛と一片の落葉とをその上に位置させたような、または大花瓶の全面に多くの神仙大物を浮き上げ細工し、その背面に添えた松樹の葉を一つずつ彫り出したような、精密繊緻な一種の磁器を創出し、世評を得ておびただしく外国へ輸出されるまでになりました。
のち事業を子の半山に譲り、自己はその好むところの和漢古陶磁を模して酒茶器を製し、その多能振りで大々を驚かせました。
1896年(明治二九)帝室技芸員に推挙され、1928年(昭和三)5月、七十五歳で没しました。
(『工芸志料』『府県陶器沿革陶工伝統誌』『日本陶器目録』塩田力蔵)

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