岩国焼 いわくにやき

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鶴田 純久の章 お話

周防国(山口県)岩国の陶器。
1700年(元禄一三)岩国藩主吉川侯が京都の陶工西村安兵衛を招いて付近の多田村(岩国市)に開窯させたのに始まり、同村の河田清八も安兵衛に陶法を学んで製陶に従いました。
文政年間(1818-30)に至り白井久兵衛が新たに同地に窯を築いて業を継いだがのち廃窯されました。
一に多田焼ともいわれ、銘の一つに「岩国多田」の扇面印があります。
また楽焼風の軟陶に「岩国山」印のものがありますが、これは1832年(天保三)吉川侯に招かれて岩国町川西(岩国市)に築窯し、1837年(同八)まで製陶して楽焼風の佳品を遺した吉向行阿の作に「岩国山」銘のものがある点から、吉向の影響を受けて前記川西の窯で焼かれたものかとみられます。
岩国吉向焼では主に「十三軒」印が使われています。
※きっこうやき

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